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対話(短編小説)

創作物
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中山(28才)はさえない男だった。

何をするにも人の気をうかがい、自分のことを二の次にしていた。 おかげで仕事も恋愛も滞っている。仕事のほうは後輩たちに次々と出世され、社内で肩身の狭い思いをし、恋愛の方は悲劇的な終わり方をした過去のそれに背を向けられないままでいる。

中山の仕事は訪問販売の営業マン。この不況下で小中学生対象の学習教材を売ってまわるというものだ。毎月ノルマを課せられて、中山にはそれをクリアーするのが精一杯といった現状であった。だから出世のことなど考えてもいなかった。

商品の教材は良かった。価格はリーズナブルで、問題の質・量ともに適当で、解説もしっかりしていたし、学習理論も明確で、学習者の学力アップを図るに足りるものであった。そんな商品を中山がうまくさばけないのは、営業能力のなさではなかった。それについて中山に足りないものはなかった。ただひとつ欠点があった。そしてその欠点は、こういった仕事をする者にとっては時に致命的となるものであった。 中山は人一倍子どもが好きな男だった。

家を訪問に母親を説得しかけた時に、よく子どもが登場すると、中山はうれしそうに子どもに話しかけた。そして必要以上に子どもの心をつかみすぎて、結局子どもの学習意欲を減少させてしまうのだ。こういう商売の場合、親よりも子どもに対して購買意欲を持たせるのが常套手段なのであるが、中山はそれが苦手だった。そして気がつくと、「今回はちょっと遠慮しておきますね」という母親の言葉で彼のセールスは終了しているのであった。

 

中山は22才のときに子どもを一人亡くしていた。 二つ年下の女性との間にできたその子どもは、この世に生を受ける前にその命の芽を摘み取られた。生まれていればちょうど自転車に乗れるような年令であった。その女性のことを愛していないわけではなかったのだが、何の経済力も持たない大学生であった当時の二人にできる選択は、そういった悲劇的な形以外になかったのかもしれなかった。

そしてその出来事がきっかけで、二人は別れた。

そしてその頃から中山は、いつも心に何かを背負っているようになっていた。

その日中山は、自分の営業区域内のとある小さな公園のベンチで、遅い昼食をとっていた。風が頬を切るように冷たく走る三月の薄暗い空の下で、中山はサンドイッチをつまみながらぼんやりと公園で遊ぶ子ども達を眺めていた。

子ども達は缶蹴りをしようとしていた。皆小学校の低学年くらいであった。全部で五人の子ども達が大きな声でじゃんけんをして、鬼になったひとりを除いた他の四人が、いっせいに公園の外へと散っていった。ところが鬼の子どもがかがんだまま声を出して数を数えていると、グループのなかで一番背が高い子どもがそっと鬼の子どもの後ろにまわって、そのままじっとしていた。そして鬼の子どもが百まで数え終えて立ち上がったその瞬間、威勢よくその缶を蹴飛ばした。

「バーカじゃあん」

缶を蹴った子どもは鬼の子どもにそう言い放って走っていった。鬼の子どもは仕方なく、もう一度缶を拾って公園の真ん中でかがみ、また数を数え始めた。今度は誰も彼のすぐ後ろに回ることなく、鬼の子どもは無事数え終えて立ち上がった。一瞬その子どもの視線が中山と合ったが、それが中山だと分かるとすぐ視線を変え、周囲を眺め渡した。

鬼の子どもはまずベンチの横にある大きな木の後ろ側を調べ、そのあと物置きと思われる建物の裏と、その屋根の上を調べた。それから砂場の横の滑り台まで足をのばし、その近辺を慎重に見渡した。

その光景を見ていた中山は、徐々に気持ちが落ち着かなくなっていった。鬼の子どもが探すのに必死で、あまりにも缶から離れていくからだ。今誰かが缶に向かって走り出せば、間違いなく缶は蹴られてしまうだろう、それほど鬼の子どもと缶との距離は離れていた。

しかしどんなに鬼の子どもが捜しまわっても、あたりから他の子どもの姿があらわれることはなかった。鬼の子どもは試しに滑り台に上ってみた。そして言った。

「今なら缶蹴れるぞお!」

しばらくそこで様子を見ていたが、誰もあらわれることはなかった。鬼の子どもはもう一度ベンチや物置を調べて、それから中山のところへ歩いてきた。

「おじさん、みんなどこ隠れたか知らない?」

鬼の子どもは中山にそう尋ねた。

「さあなあ、みんな公園の外に隠れてたみたいだったぞ」

中山はそう言った。 すると鬼の子どもはちょっと口をつぐんで、それからこう言った。

「外は反則なのに・・・」

そう呟いてしまうと鬼の子どもはうつむいてしまった。それからしばらくして中山に、

「おじさん、いつもぼく、こうなんだ・・・」と言って唇をかみしめた。

それを聞いた中山は、鬼の子どもに何か言おうとしたが、それより先に鬼の子どもは中山の前から走り去った。そして缶蹴りの缶をゴミ箱に捨てて、そのまま公園をあとにしていった。

公園にひとり残された中山は、ポツリこう呟いた。

「ちっくしょう・・・」

空の上の鉛色の雲が東の方へ流れていた。中山はコートを羽織り公園をあとにした。

春が間近であることなどまるで夢のような寒さが辺り一帯を包んでいた。

 

その日、仕事の予定がぎっしりと書きこまれたダイアリーの余白に、中山はこんなことを書いた。

いつの日か、この空に

青い海は、戻るだろう

せめてその希望だけは

ためらうことなく思い続けたい・・・

 

翌日の午後、中山は再び昨日の公園を訪れた。

公園には昨日の鬼の子どもがひとりで、自転車に乗って遊んでいた。

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