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コロナ禍の育児に思うこと

Kaito smile with eating想い
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次男は毎日モノマネ三昧

次男が1歳8カ月になります。言葉も少しずつ理解し、話せるようになってきました。今次男が表現できる言葉は「ママ」「パパ」「ババ」「ねんね」「ババイ(バイバイ)」「んま(うまい)」くらい。

自分で話せる言葉がまだ少ないためなのか、見様見真似でいろいろなことをまねます。長男が勢いよく走り出すとそれを追いかけて走りだしたり、食事中に長男がママに甘えて顔をママの肩に添えると、それを見た次男はとなりにいる私に顔を添えようとします。次男が私たちと精一杯コミュニケーションを取ろうとしているのが分かります。コミカルな動きも真似るので面白かったりします。

表情で自分を表現する次男

そんな次男を見ていて、先日気づいたことが、自分のことを表現するために表情を変えるということです。

遊びたいおもちゃがあるが、そのスイッチが入れられない。そこで、そのおもちゃのところに駆け寄り、その後私を見てニコっとする。ん?と思いほかのおもちゃでもそうなるか観察してみる。やはり気に入っているものの目の前に行っては、こちらを向いてニコっとする。自分が知っている表情を使って『ボクはこれがしたい』というメッセージを送って自分を表現しているようです。

考えてみれば今までにも、食事のとき、ごはんを食べ始めるとママのほうを見て、くしゃおじさんのような笑顔をすることが多かったりしました。

Kaito smile with eating

言葉が出ないので、必ずしも台所にいるママにその笑顔が伝わるわけではないので、私がとなりにいて気づいたときには、次男の表情のことをママに伝え、ママがそれを見て笑顔になります。

表情というのは人間の感情を豊かに表現するひとつの方法です。表情を見れば、その人が今どういう感情であるか、たいてい推測することができます。言葉を知らない乳幼児はきっと、まわりの人間の表情をひとつひとつ観察し、真似ながら、使い分け方を知り、自分のものにしていくように思います。考えてみればなかなかハードな努力ですよね。

コロナ禍での育児に思うこと

コロナ禍でマスク着用が世の常となってもう1年以上たちます。

下手すると仕事でもプライベートでも、1年以上マスクを取った顔をほとんど見ていない友人や知人もいるかもしれません。また、マスクを取った顔を知らないまま出会って、そのままという人間関係も存在するように思います。

この状況は、まだ言葉を使うことができない乳幼児にとってどういう影響を与えるのでしょうか。

例えば、ベビーカーに乗せられて外出し、限定された視界のなかで、時折飛び込んでくる人々の表情がマスクによってさえぎられてしまいます。ひとりひとりの表情を観察し、データを蓄積しながら真似ていく彼らの学習の機会が奪われてしまいます。そしてそういう学習機会を失ったまま言葉を身につけ、その言葉を表現の中心とするようになったとき、言葉以外の表現方法が、うまくできないというようなケースもあるかもしれません…。

 

そんなことを考えながら、改めて次男の行動を観察すると、実に表情豊かにコミュニケーションを取っているように思います。私としては、その次男の表情を見て少し安心します。我が家には、ママと長男が(もちろん私も)次男の表情の学習機会をたくさん提供してくれています。ママも長男も次男の動きに対して、表情豊かに答えてくれています。

ママは長男の言動に対しては「面白いねえ」と答え、次男の笑顔に対しては「笑ってくれてありがと」という言葉を添えることが多いです。そしてそのときのママの表情は必ず笑顔です。

こういったちょっとした親の笑顔のリアクションの積み重ねが、子どもの表情の豊かさによい影響を及ぼしているのかもしれません。

 

そんなことを考えると、やっぱり家庭での育児というのは、このコロナ禍でますます大切になっていると感じました。

そして同時に、家庭では表情豊かに子ども達に接していきたいと思いました。

ちょうど今日はママと結婚して10年になる日。

今までの感謝とともに、そんなことを考えた朝でした。

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